FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「フーガ=浮昇の技法」試論(完成稿)(其の1)

-音楽分析編-


フーガ(Die Fuge)、
それはJ.S.Bachが音楽の形式として成立させた
神学上の一つの技法。
フーガには、
宗教儀式としての祈りの作用、
音楽形式の中での締めの作用、
この二つ作用が在る。


フーガは、
J.S.Bachが完成させた形式である。
それをBeethovenが「浮昇の技法」を編み出して我々に提示した。

Beethovenは、
何を我々に伝えたかったのだろうか?

これから提示する試論は、音楽自体が持つ作用/効果も
論じることになるだろう。
Beethovenのピアノ・ソナタ第31番最終楽章フーガ部分を
参照してこれから論じることにしよう。

音源は以下の映像、グレングールドの演奏。
http://www.youtube.com/watch?v=UJG8VqU8XNE

~音楽分析~

♪しばらくは、楽譜を参照します。
この箇所は楽譜の読める方対象です。読まなくても構いません。
(以下のサイトでは、楽譜を印刷することができます。)
http://imslp.info/files/imglnks/usimg/a/a3/IMSLP51805-PMLP01488-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_16_No_154_Op_110.pdf


ピアノ・ソナタ第31番は、
第一楽章、第二楽章、第三楽章に分けられる。
第一楽章は、主題の提示・展開・再提示など。
第二楽章は、Klagender Gesang「嘆きの歌」(アリオーソ)。
第三楽章が、フーガ。

第一楽章には、今まで在ったBeethoven自身の思い出、
回想、自伝的要素が展開される。
第二楽章には、Beethoven自身が苦悩に満ちた際の悲しみ、
絶望、慰め、悲哀、そういった「嘆きの歌」が展開される。

ここまでは、よくある一芸術家の表現方法といえるだろう。
これだけでも、芸術=自己表出行為として立派な作品であると思う。


問題は、この次の最終楽章の展開にある。

第三楽章、フーガ
ここには、
Beethovenがひとつの意志(フーガ主題)を貫き通して、
苦悩を背負い(「嘆きの歌」)、
そして天からのメッセージを受けて(逆フーガ主題)、
自分なりに消化して昇華していく様(コーダ)を見ることができる。


楽譜11(123)ページ

Fuga
As-Des-B-Es-C-F-Es-Des-C
最初から5小節までがフーガ主題(a-1)。
Es-As-F-B-G-C-B-As-G
5小節から9小節までがフーガ主題(a-2)「五度上」。
フーガ主題(a)が曲を支配している。

20小節のフーガ主題(a-2)が低音で奏でられる。
指摘したいのは、37小節のEs-Esと続く箇所。
Es-Esの後者は、フーガ主題(a-2)の始まりのEsなので納得できる。
前者のEsは、何のフーガの構造に寄与していない。
厳格なBachならばこのEsは付けないだろう。
Beethovenは、
表現の誇張(exaggeration)としてこのEsを用いたのだろうか?

次に12(124)ページの最初の小節から、
フーガ主題(a-3)が低音で始まっている。
このあたりは、
完全に旧来の厳格なフーガの枠から外れている展開の仕方。

12ページ冒頭から数えて9小節目では、
グールドの演奏で多少テンポを変化させて、
音楽に揺らぎを与えている。
このあたりは、感覚的に浮遊する箇所かもしれない。

26小節目からの低音Es-Es-Es-Es-Des-C-B-C-Desの動きは、
Beethoven自身の不器用さからくる音の連なりと言えようか。
この不器用さが、Beethovenらしさでもある。

このEsの連打はこの曲全体の一つのキー(鍵)になっている。
12ページの一番最後の最後の小節も16部音符の連打になっている。
この連打は、人間(Beethoven)自身の
苦悩・停滞・鬱血の表現ではないだろうか。
13(126)ページの「嘆きの歌」は、
常にこの連打で始まり連打で終わっている。
この表現法。なかなかできるものではない。
なぜならば、曲自体が停滞してしまうからだ。
Mozartはまずこういった作曲はしない。
自然的ではなく、
頭で思考されて作られた石(意思)のようなものだ。

この「嘆きの歌」の箇所は、第二楽章とほぼ同じ進行だが、
違う箇所がある。17小節目のHの部分だ。
B-A-D-H-H・・・
このHは、嘆きの歌のmoll(短調)からDur(長調)に変わっている。
そして、連打を10回奏でる。
ここもきわめて、人工的であり不自然極まりない。
こういった箇所で何をBeethovenは伝えたいのだろうか?
最後の2小節は現世からの悩みを断ち、天へと昇るかのようである。

14(126)ページから
逆フーガ主題が始まる。4小節目のFis-G-A-Hの部分。
ここは、極めて教会旋法の神秘的なメロディーである。
この箇所は、Beethovenが作曲してきた中で、
今までにない珍しい響きのする象徴的なところだと思う。
まさに、天からの応答なのだろう。
フーガはDuxとComesから成り立つ。
Duxは主唱であり、Comesは応答。
フーガ主題(a)と逆フーガ主題。12ページと14ページ。

天からの応答に、Beethovenは12小節目あたりから拒否反応を示す。
12小節目の低音G-F-Esの下降線。18小節目の16部音符D-C-Hの下降線。
このあたりは、
人間自身は挫折や失敗を繰り返すことを象徴しているような箇所。
12小節から25小節までの低音の音型は、
人間から聖人へなろうとしてもなれない
転びのようなもののイメージ化。

最後の2小節は転びの中で
「わかった・・・。」
この世界認識の理解をもって、
これからBeethoven自身の創作活動を
全うしようと決意した瞬間。

嬉しさ、ひらめき、希望、善などがイメージできようか。

それが14ページの最後の2小節~15(127)ページの5小節まで。
ここで指摘したいのが、
15ページの4小節目。
F-G-As-B。
このモチーフ(動機)は、
まさに先ほど神秘的な教会旋法と紹介した
12ページ4小節目と同じ音型なのだ。
この表現の一致は、絶対に意図的だ。
天のメッセージとBeethovenの意志が一致した瞬間だ。

15ページの5小節目から始まる最後のクライマックスは、
低音のフーガ主題が、
意気揚々と自信と確信をもって奏でられ、
そして壮大に曲は締めくくられる。
最後の最後で、天へと昇華していくのである。

こうしてみると、
意図的に人工的に、
旧来の「フーガの技法」を
Beethoven自身が
自分史の中にフーガを取り入れていると
感じずにはいられない。
フーガ=Beethovenになっている。

~音楽分析終了~

其の2に、
続く。










 






スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。