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御神事、八

八:哲学エッセー
(統合または止揚についてueber die Integration oder das Aufheben)

2010年09月18日09:33

統合または止揚について
(ueber die Integration oder das Aufheben)


・止揚について


 ドイツ観念論哲学
  ヘーゲル

 止揚(Aufheben)

 A-B の対立
  超克することで、Cが提示される。
 
  C-Dの対立
  超克することで、Eが提示される。

  E-Fの対立
  超克することで、Gが提示される。

  
ヘーゲルはどこから、このイメージを思考し、
編み出したのだろうか?

これは植物の成長からイメージが湧いたのだろう。
  
  哲学=思考
  数学=論理

やはり、なんといってもイマジネーションが湧かないと、
人間は、言語に出来ないものだ。思考として書くことが
できないとイメージしている。

心の底からエクリチュール(書く行為)するとは、
つまりイメージを持つことなのだ。

静的な書物、博物館的な図書館、
全ての人間の英知をエクリすることで、
人間は言葉を信じた。

静的なものには、動的なものがある。
書物-イメージ
A-B

この超克によって
新たな書物(c)が生まれる。
書物ーイメージ
C-D

この超克によって
新たな書物(E)が生まれる。
・・・。

こうして静的と動的。
この二つの対立項が止揚されて、
新たな対立項が生まれる。



・螺旋(らせん)状について


ヘーゲルはこの止揚の概念を、
植物の生長からヒントを得た。
この止揚。

このイメージ。
これは螺旋のイメージなのだろう。
螺旋状。

円があり、その円が上昇しながら、
無限に続く螺旋状の線。


やはり、哲学にはイメージが介在している。
どんな書物も、フーコー・ラカン・デリダ・ドゥルーズらが
フロイトの書物から現代思想としてのポストモダニズムの流れを
編み出したこと。

フロイトの精神病者の自動書記への考察。
症例・・・。狼男。Fort-Fort-Da(いない、いない、バァー)。

書物名は忘れたが、
20世紀現代思想の爆発的エネルギーのおおもとは、

フロイトとニーチェだと思う。

それはつまり、精神科医と哲学者=精神病者。
つまり、フロイトとニーチェ。


この二人が、世界の真理を身を挺して、ありのままに伝えた。
このことによって、20世紀哲学界は支えられた。

しかし、21世紀に過去の思考はいらない。
過去の哲学は終幕したのだ。


レッテル貼り、旧体制化、冷えた思考、過去のしがらみ、
こうあらねばならぬというしがらみ。

この束縛された思考から抜け出して、
真理を語った二人。

フロイトとニーチェ。

ヘーゲルの止揚すら、この二人にとっては
旧体制の哲学。
閉じた体系。

哲学には、動的=力学系

この言語にできないジレンマを
いかに言語化して哲学を語ってゆくこと。

この使命を遂行できた哲学者。
特にニーチェはその意味において、
絶賛されるべき哲学者で在る。


哲学とは、神学とは別の学問体系である
中世ですら哲学は、神学上の下で
哲学をしていた。(フィロゾフィーレン)

あのカントですら、神は存在するという前提で
哲学をしていた。

知を愛すること、フィロゾフィーレン。

カントの著作
『永遠平和のために』を書けたのも、
神学上の哲学で在ったためである。


とかく、哲学は孤独にひとりで悶々と考えて、
編み出したものというイメージがあるかと思うが・・・。




神学=信仰
信仰=信じること。

信じることはつながること。

全宇宙の存在者とつながること。
これはカント・ベートーヴェン・ゲーテの共通したテーゼ
(確固とした信念)で在った。




・統合について


全てにおいてらせん状の止揚が在るとしたら・・・。
信じるということ信じ続けたならば・・・。
全宇宙の存在者とつながることという
芸術の根本使命を遂行するなら。



統合される。


一つとなること。

one is all,all is one.

神道
一即多
多即一

統合

世界はひとつ・・・。
(ディズニーランドのイッツ・スモール・ワールド)

哲学が、閉塞的に内に内に専門化される中で、
閉じた体系へと退化させていった末、
21世紀の哲学は、
こんな簡単な、こんなわかりやすい、こんな根源的な
ことへとたどり着いた。


Die Urspuruunglichkeit(根源性)
ナチスによってユダヤ系哲学者として迫害された、
ウォルター・ベンヤミン。

根源的なものに憧れる。

それは魂が希求するからである。
それはつながろうとする人間の根源的な希求。

哲学者は同じことを、おのおのの哲学者の言説(言葉)で
語っているに過ぎない。

せかいはこうであると、
同じことを言っているのだ。

しかし、しかしである。
しかし、性善説に立った上での言説(言葉)であらねばならない。



・信じるということ

人間を信じた上で、生きていかねばならない。
そのことだけは真理である。

人を信じること、神を信じること、世界を信じること。

性善説(人間は尊い崇高な存在者である)煮立った上で、
生きていれば、必ず人々とつながり、らせん状の渦が無限大へとなり。
大きな力となり、人間の生きる力となる。
大きな大きな無限大の螺旋は宇宙へとつながる。


統合すること。
いがみあわないこと。

平和を愛すること。
人を尊重すること。
感謝すること。
ありがとうと言えること。
人を信じるということ。

カントの『永遠平和のために』は、
これと同じことを伝えている。

ちっちゃいときに、よくおばあちゃんの知恵袋として
教えてくれたことと同じである。

哲学という、硬い、固い、堅い、難い、学問であっても
これと同じことがかかれている。



芸術作品
ハイデガー的に言えば、
世界に真理を開示することのできる芸術作品。

芸術とは、このことを芸術にしただけだ。

だから、神学=哲学=芸術なのだ。

統合、東郷、意気投合。

意気投合が大事なんだ。
えんもたけなわということで、哲学エッセーも終幕。

素晴らしい土曜日の晴れた休日。
みなさん素敵な休日をお過ごしください。

晴れた青空に感謝。
Dankbarkeit!!!



素敵な休日に、ピアノの音をご堪能あれ!!!
高木正勝-girls
http://www.youtube.com/watch?v=0Qv9HRISkGo





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