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病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番第3楽章
「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」
Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit,
in der lydischen Tonart

http://www.youtube.com/watch?v=m9gdlRyaeGM



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休日の散策中に、ふとベートーヴェンの“第九”が頭によぎった。
交響曲(Sym-phonie)は、当時“器楽”のみで演奏されていた。
ベートーヴェンは、9番目に作った交響曲に、“言葉”を取り入れた。


「常識を打破する行為」
既存の概念から、まったく新たな発想を取り入れること。


ベートーヴェンは、何かとても大切な事を第九で伝えたかったのでは?
ふと思ったので、散策の後ウェキペディアで検索してみた。


シラーの「歓喜によせて」の歌詞を読む。
すると、今まで気づかなかったことに気づいた。

  「星空の彼方に神を求めよ
   星々の上に、神は必ず住みたもう」〈シラー)


この神は、キリスト教の神ではなく、
もっと普遍的な〈神なるもの〉を指しているのではないだろうか?


人類愛・平和・感謝・自然賛歌・歓喜・希望・祈りなど・・・

ベートーヴェンが、神と呼んでいたのはこういうことだったのか!

地球を愛し、平和な世界を祈り、自然によって育まれる
緑溢れる大地に感謝し、歓喜に溢れた世界を創る。
神によって生かされていることを感謝し、歓喜せよ。

この思想は、今の〈エコ〉と通じるもの。
昔から在るアニミズム、宗教以前の先祖崇拝、自然賛歌、
自然環境、地球生命体、命溢れる豊かな世界を願う。
今も昔も願いは同じなんだ。
そうだったのか!


ならば、これ以降のベートーヴェンは、
音楽に普遍的な〈祈り〉を求めたのでは?


         第九以前        第九以後
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

音楽:       芸術(美)      祈り(善) 

表現方法:    内的主観表現      脱自我
 

ベートーヴェンは、第10番目の交響曲に
ゲーテの『ファウスト』を用いようとしていたという情報も知った。


改めて、第九以降の作品を聴いてみる。

弦楽四重奏曲第13・14・15番を聴く。


驚愕した!!!
もはや、音楽であって音楽でない。
ベートーヴェンが作ったようで作っていないかのような。
自我がそこにはなく、感謝、祈り、希望、平和そのものの
音の連なりがそこに在る。

高次元の領域でベートーヴェン自身が音楽そのものとなり、
音で世界と宇宙を行き来しているような…。

ベートーヴェンは、弦楽四重奏曲で〈祈りの音楽〉を実現して、
『ファウスト』で最後の壮大な交響曲を創ろうとしていたに違いない。
「大フーガ」を作ったのも、
ファウストで劇的に用いようとしていたのでは?

ベートーヴェンの晩年の作曲様式を、
ロマン主義の萌芽としているが
ロマン主義などでは全くなく、

祈りの音楽、

プラトン〈真・善・美〉の
美的領域(aesthetik)から善(bonus)の音楽へ、

カントが実践理性批判で
倫理・道徳に人間の基準を求めた善の領域のように、

ゲーテが『ファウスト』で内なる道徳律(第一部)から
輝ける星をちりばめた空(第二部)で見せた神秘劇のように

〈神そのものとの対話の音楽〉だと思う。

啓蒙主義の時代だからって、
人間中心主義を称え、自我を貫き通したわけではない。
ちゃんとした普遍的な理念が在ったのだ。

ベートーヴェンは、
彼の人生の中で最後の最後に、至福の最高の作曲技法を見出した。
祈りを通じて成し遂げた本当の偉人なんだと思う。

あの世で交響曲第10番は、
多くの聴衆へと披露されていることだろう。
安らかに眠らんことを、ベートーヴェン!!!





ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番
http://www.youtube.com/watch?v=kW8wdpfkpM0&feature=related



最後に、散策後に立ち寄った本屋で偶然手にした本であり、
なおかつ自分と同じ視点から捉えて、なおかつそれ以上に多くの
ご教授いただいたこの書物に感謝。

青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社、2009

善いこと書いておられます。

「最後の四重奏曲群では、もはや自我の主体者として語ることはない。
   ・・・
 この神秘的で静謐にみたされた世界-
 かつて二十歳そこそこの私がそれに打たれたのはなぜか?
 人間存在の究極の意味がそこに感じられたからだ。
 長い人生の間には喜びも絶望もあり、
 そして人は誰しも過ちをおかすものだろう。
 しかし最後まで、
 人間を超えた大いなるものに対して敬虔であるように努めること、
 それが生きる意味だ、と。」(op,244)


     さんきゅう、感謝、Dankbarkeit!!!



ゲーテ『ファウスト』第二部より終幕

chorus mysticus
(神秘の合唱)

Alles Vergängliche
Ist nur ein Gleichnis;
Das Unzulängliche,
Hier wird's Ereignis;
Das Unbeschreibliche,
Hier ist's getan;
Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan. 

  …我らをひきて昇らしむ。




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