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「フーガ=浮昇の技法」試論(完成稿)(其の2)

-音楽美学・演奏論編-

次に、浮昇の技法の紹介。

Beethovenのフーガには、浮昇の技法が在る。
浮昇の技法の定義。

A.浮遊する行為
B.上昇する行為

この二つの行為が我々に提示される。

A.浮遊するとは、聴き手の感性が浮くことを意味する。
B.上昇するとは、楽譜(partiture)、
 作曲家の意志、作品構造の理性部分を意味する。

A.浮くという意味は、つまり作品を聴いていて、
 感覚的により敏感に感じ取り、一瞬浮遊すること、
 感性以上の感性、trans(超える)、
 脱我状態、いくといった、
 言語化では説明できない語りえぬ領域でも在る。

B.上昇するとは、
 文字通り音符が低音域から高音域へと移行すること、 
 また速度や力動的な強度を増した状態になること、
 また作曲家自身が そこに上昇する意志をもって
 創造することでも在る。

B.はあらかじめ作曲家が意図して準備された段階で
作曲する行為が行われるので、
理性を用いた極めて合理化された技法になる。
 
だからフーガにおいてDux(主唱)-Comes(応答)が
基本であるから、一つの主題が奏でられて、
次にその応答として逆フーガ主題が奏でられる。
そして最後は、クライマックスで持って曲が締められる。

Beethoven以前にもある技法で作曲すること、
表現すること、表出することにとっては
一つの雛形といえるだろう。

Fuga〔フーガ〕とは、ラテン語から由来する
「遁走」という訳語で知られた音楽用語である。
遁走とは、疾走するということか。
決して逃走するわけではないが、主題から離れながら
形を変えながら曲が進行していく様は、
軽やかな意味合いでの疾走と主題から逃走する意味での
二つ併せ持った作用があるだろう。

Fuge〔フーガ)とは、
ドイツ語で、
1.継ぎ目・接合、
2.割れ目・すき間の意味を持つ。

aus den Fugen gehen(geraten)
=ばらばらになる、支離滅裂になるという意味合いも持つ。

このことからFugeも、解放、解体両方を併せ持つ。
ここで、Beethovenは狭義の神学から抜け出し、
自分史のなかでのカオス〔悩み〕からの解放として、
フーガに託したのである。



Beethovenは、Haendel(ヘンデル)を尊敬していた。
なぜなら、ヘンデルのフーガには明るさ、明瞭さがあるからだ。

希望のフーガがヘンデルには在る。
Bachよりもhaendelを尊敬していた理由、
それはフーガ技法において志向性が類似している為でもあると思う。
楽観的なフーガ、希望のフーガ、解放のフーガ、
Beethobenにはそれが必要だった。

破壊と創造の繰り返し、そんな作曲行為をしていた
Beethovenにとって、昇華する技法がなによりも必要だった。



前時代の埋もれた技法「Fuge〔フーガ〕」を再生し、
再現前化させること。なによりも、
ゲーテ『ファウスト』の音楽化を生涯の目標に
していたのだろうと思う。



Beethovenに降りかかる受難は、
フーガによって音楽上で昇華される。
音楽に書くことでBeethovenは救われたのだろう。
そして書き出したことで、ついにピアノソナタ第31番において、
悟ったのだろう。こういうことだったのかということが。
最後の最後の箇所あたりは、16分音符の戯れのなかで、
疾走して解放された、無垢な喜び、意志そのものが見える。
そして一番最後に天へと駆け出した階段の様を
見て取れることができる。

それが力への意志(Die Wille der Kraft)
上昇線。
Beethovenなのだ。
上昇線がBeethoven自身に成っている。



上昇させる技法(B)の意味について。
この上昇する技法(B)とは、
聖書の世界観と全く同一。
西欧音楽の枠組み。
それは、現世からの救済である。

曲が最後に向かうほど、上昇されていき、
最後にクライマックスで締め括られる。
キリスト教世界では、生きていること自体が苦しみであり、
人間が死ぬことで天へと昇華されて、
最後に天国において救済されるという物語の基で成立している。

まさにフーガはこうした世界観と同じなのだ。

だから、音楽=神学であったし、音楽=現世でもある。
キリスト教世界において、音楽が特殊な立場にあるのは、
聴覚で神学を理解することができるからだ。

音楽作品を聴いていて感動して、浄化する作用があるのも
こうした神学上で音楽が成り立っているためである。



次にA.の浮遊する行為について。
Beethovenのピアノソナタ第31番最終楽章フーガで、
浮昇の技法Aを感じ取る箇所は、以下。

1.12(124)ページ9小節目付近。
  グレン・グールドが、一瞬速度を緩めて弾いた箇所。

2.15(127)ページ最後の小節付近。
  As-G-F-Es この高音の主題が歌われる箇所。

3.16ページ全部
  最後のクライマックスの箇所。

(註1)
以下の動画で、演奏部分を確認でできます。

Glenn Gould - Beethoven, Sonata No 31 Op. 110 - III (2/2)

1.1分28秒付近
2.6分36秒付近
3.6分39秒以降
http://www.youtube.com/watch?v=UJG8VqU8XNE

このA.浮遊する行為はきわめて説明しづらい。
なぜならば、聴き手に委ねられているからだ。
一人一人感性が違うのは明白だし、
そもそも感性を定義すること自体、理性の罠にはまっている。
だから、そういう気がする程度しか伝えきれない。

音楽を聴いて、涙する。震える。ジヮッとする…。
なにか感じたことはないだろうか?浮く瞬間、
それは脱我状態といっていいのだろうか?

一ついえることは、非-日常の瞬間になってしまうことだ。
感覚が浮遊する行為とは、日常の世界から解放されて、
一瞬で非-日常の領域へといってしまうことかもしれない。
この非-日常とは、プラトンの真善美の美、つまり芸術のことだ。

我々は、真実を知ろうと生きながら、善を求め、
美を追求して生きていると仮定する。

真実とは、科学や心理や真理ありとあらゆる世界現象。

善とは、人間が保つべき道徳、倫理とは何か、
そういった規範を欲する人間の価値判断。

美とは芸術/創造/受容のことである。
要するに美は、絶対的に必要ではなく、
日常と非日常のあいだを行き来する遊びの領域でもある。


もう読者の方々はお気づきかもしれないが、

「浮昇の技法」とは、
神学(善)の人間にとって必要不可欠であった
音楽が、Beethovenの「浮昇の技法」をもって、
音楽が美(芸術)になってしまったことを意味する。
つまり音楽は非-日常のMittel〔媒体〕になったのだ。
テレビや娯楽、劇場、映画、絵画そういった非-日常の媒体。


音楽には魔力が在る。
浮昇するということ(A+B)は、今ここにあらずということ。
日常を営む人間にとって、浮昇するということは危ういのだ。
なぜならば、今を生きなければいけないのに、
今ここにあらずではいけないということだ。



J.S.Bachの時代。
グレングールドの「浮遊する行為」とは。
それはオルガンによって厳格に神学の儀礼の日課として
音楽の営みが行われていた。
Walchaのオルガン演奏(註2)には、
そうした神学の系譜としてオルガンが在ることが、
うかがい知ることができる。

グレン・グールドは、理性(神学の教義)化されている
ガジガジのバッハ像を解放した。Walchaのオルガン演奏から
グレン・グールドのピアノ演奏へと時代が移った。

Walchaには、オルガンのペダルが在った。
厳格なる低音の地に足が着いたバッハ演奏が聴けた。
そこには浮遊する瞬間すらない。
なぜならば日課だからだ。日常で在る。
神との対話。

グールドの演奏は、
Bach自身すら気づいていなかっただろう感性×感性の遊び、
神学からBachを持ち出して、
Bachを現代へと連れ出し、
新たなBachを暴き出した、
剥き出した浮遊するBach。


以下Bach演奏
Glenn Gould - Bach - BWV 891 - Fuge
http://www.youtube.com/watch?v=Q5Mv3T3ANjY&feature=related
2分11秒のあたりが浮遊する箇所である。

Bach / Art of fugue - Contrapunctus01 / Glenn Gould
http://www.youtube.com/watch?v=zwkzf-KUNPM&feature=related
3分55秒のあたりが浮遊する箇所である。


美しい、実に美しいバッハがそこには在る。
美しすぎる美しさ。

危うい、非-日常と日常の交叉。
感覚美、感性美。
好きである演奏法。

しかしである、しかし、
グレン・グールド自身ですら、
この浮遊する行為に酔ってしまっている。
この危険性は、脱我状態になることで、
演奏者=聴き手になってしまうことだ。
グールドは戦略として浮遊する技法を用いているにもかかわらず、
自らもその技法に溺れてしまっている。

A.浮遊する行為の危うさがお分かりだろうか?

(註2)
Bach - Passacaglia and Fugue in C minor - 2/2 - Fugue
http://www.youtube.com/watch?v=OAXqRC78u98


-音楽美学・演奏論編-

其の三に続く。
-腹の文化へ-






















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